004.マルボロ
Smoke Gets in Your Eyes
4


「まゆ先生、正門のとこで待ってるぞ!!」


そんなばかな...。
南校舎の階段を駆け下りながら俺の頭に浮かんだ言葉はそれだった。
だってまゆは学校の前で待つのを嫌がっていたのだ。
以前、いつも学校の近所の本屋の駐車場で待っているまゆに「正門の前まで来ればいいのに」と言ったら、まゆはひとこと「目立つから」と困ったように笑ったのだ。
そして、昇降口に駆け込んだ俺は靴を履き替えるのももどかしくスニーカーの踵を踏んづけた状態でそこから飛び出した。
そういえば...まゆが来るのは放課後遅く、もっと人の少なくなった時間のはずだ。
こんな下校の生徒でいっぱいな時間にまゆが来るはずが...。
昇降口から続く、今では青い葉が茂る桜並木を抜けた俺は思わず足を止めた。

いた。

ここからはまだ少し遠い正門の門柱のそばでまゆはなぜかジャージ姿の女生徒に囲まれていた。
俺が駆け足で正門に近づくと、ちらちらと横目でこちらをうかがっていたまゆがぱっと明るい顔を向けた。
そして、その隣でまゆにつられてこちらを向いて驚いた顔をしているのは...敦美だった。
敦美の表情を見たほかの女子数名(よく見たらバレー部の3年だった)もこちらを見て同様の顔をした。

なんで敦美がここにいるんだ!?
正門にたどりついた俺はそう叫びたかったが、さすがに息が上がりまくって一言も発することができなかった。
まゆはそんな俺に困ったような顔で黙っていた。(おそらく俺が怒っていると思っているのだろう。)
そして、俺と敦美の"過去"を知っている女子たちはなんだか気まずそうに俺をちらちら見ていた。
そして、沈黙を破ったのは...
「なんだ〜!! まゆ先生が待ってたのって"こーへー"だったんだ〜!!」
敦美は黄色い声を上げると俺の背中をバンっと叩いた(痛い...)。
それにつられて黙っていたバレー部女子たちも「びっくりしちゃった〜!!」「いつのまに〜!!」などと黄色い声を上げまくった。
「うっせーな!! お前ら、とっとと部活行けよ!!」
"女子総攻撃"にいたたまれなくなった俺はまゆの腕をつかんで歩き出した。まゆの車はここにはないからおそらくいつもの場所だろう。
「こーへー。」
"あの頃"と変わらない呼び方で敦美に声をかけられ俺は思わず振り向いてしまった。
「バイバイ。」
敦美は笑って軽く手を振った。
「おう。じゃあな。」
俺は敦美の肩ごしに保が走ってくるのを見ながらそう答えた。

「ごめんね。」
マンションへと向かう車の中、運転席のまゆが突然そう言った。
「何が?」
まゆはフロントガラスに目を向けたままだった。
「...こうちゃん、明日いろいろ言われちゃうね、きっと。」
ひょっとして...まゆがいままで正門前で待つのを避けていたのは、俺のため...?
実際にまゆにそう言われたことがなかったので考えもしなかったが...。
そして、それなのにまゆがああいう行動をとったということは...俺はそれほどまゆを追い詰めていたのか...?

俺たちは車がマンションへ着いても黙ったままだった。
そして、そのままマンションのロビーを通過し、エレベーターに乗り、玄関のドアを開けた。
玄関のドアが閉まると、俺はいきなりまゆを抱きしめた。
「こ、こうちゃん!?」
俺の肩口に顔を埋める形になったまゆはびっくりした声をあげた。
「ごめん...俺、なんにもわかってなかった...ほんとにごめん...」
俺はまゆをさらにぎゅっと抱きしめた。
「俺、ちゃんと聞くから...まゆが俺に伝えたいこと...だから、話して...」
「...うん。」
まゆの手が俺の背中にまわりぎゅっと抱きしめた。

それから、俺はまゆからいろいろな話を聞いた。

杉本先生と同じ大学だったこと。
2年の時に杉本先生がまゆのいたサークルに入部したこと。
3年になってつきあい始めたこと。
4年の時に受けた教員採用試験にまゆだけ落ちてしまったこと。
そして、偶然にもふたりとも北高の教師になったこと。

「私は非常勤講師だったから授業だけやってればよかったんだけど、てっちゃんは正規採用でほかに研修とかレポートとかいろいろあったの。それで、ほんとは私が支えてあげられればよかったんだけど、私も初めてのことで思うようにできなくていろいろ悩んじゃったのね。それで、私って精神的に弱っちゃうと体調にも影響しちゃうから...」
確かに、俺がいっしょに暮らしたこの何ヵ月の間でも、まゆは仕事のこととかで思い悩むと体調を崩し下手すると寝込むほどになってしまうのを目にしていた。
「最初のうちはてっちゃん、自分も大変なのに私の世話焼いてくれたり励ましたりしてくれてたの。それで、私もいろいろがんばろうと思ったんだけど...そのうち、てっちゃん、こっちにあまり来なくなって学校の近所に借りてたアパートに帰る日が増えていって...。」
まゆは急にうつむくと隣の俺の手をぎゅっとつかんだ。
「秋頃言われたの...『もうまゆといっしょにいられない』って...」
うつむいたまゆの声がとても震えていたので、思わず俺はもう片方の手でまゆの手を上からつかんだ。
「正直、いつそう言われてもおかしくないって思ったけど言われたらやっぱりショックで...次の日に胃潰瘍で入院しちゃったの。」
そういえば、俺が1年の秋にまゆが1週間ほど休んだことあったっけ。それってこういう理由だったのか。
「それにしても、最近の薬ってすごいんだよ〜。胃潰瘍が一発で治っちゃうのが...」
「って今はそれはいいから!!」
さっきとはうって変わってのんきに話し出すまゆを俺は思わず止めてしまった。
「それよりも!! まゆは頭にこなかったの!? 一方的にそんなこと言われて!!」
俺は叫びながらまゆと再会した頃のことを思い出していた。
ベッドで苦しむまゆにどうすることもできないやるせなさをおそらく杉本先生も感じていたのだろう。
でも、どうしてそういうまゆを放り出すことができたんだ!? まゆがこの広くさびしい部屋でひとりうなされているのを知りながら...。
しかし、まゆはにっこりと俺に笑いかけた。
「確かに言われた頃はショックで倒れちゃったくらいだったけど...後で考えてみたらね、私も悪かったんだなぁ、って。だって、ただでさえ仕事のことでいっぱいいっぱいなのに、こんな手のかかる彼女の面倒まで見切れないよね。それに、てっちゃん、すぐに『別れる』って言ってもおかしくない状況だったのに秋までがんばってくれたから。だから"もういいや"って思ったの。」
「まゆ...」
なんでこういう考え方ができるんだろう?
別に"杉本先生が一方的に悪い!!"って思ったって全然おかしくないのに...。
どうして"自分も悪い"って反省までできちゃうんだろう?
これがやっぱり"大人"というものなのか?...それとも、まゆが特別なのか?
そんなことを考えて呆然としている俺にまゆはさらにふふっと笑いかけた。
「それに、てっちゃんがあの時『別れる』って言ってくれなかったら、こうちゃんと今、こうしていられなかったかもしれないし♪」
俺は一瞬まゆの言葉が理解できなかったが、すぐに顔が真っ赤になった。
「ね、いいこともあったでしょ。」
そう言うとまゆはまたにっこり笑った。
俺はてれかくしのためにまゆを腕の中に抱きしめた。
やっぱりまゆは特別なのかも...。

「それにしても、俺、まゆが杉本先生とつきあってたなんて知らなかった...」
「ん〜、あえて公言はしなかったけど気づいてる人は結構いたみたいよ。 まぁ、こうちゃんはあの頃、寺西さんのことで頭がいっぱいだったからね。」
...え? なんか今、おかしなことを耳にしたような...。
「そういえば、寺西さん、きれいになってたねぇ。今も仲いいの?」
ちょ、ちょっと待て!!
俺はまゆを抱きしめたまま固まってしまった。
「ま、まゆ、俺があいつとつきあってたこと...」
「知ってるよぉ。学校とか帰り道にいっしょにいるのよく見かけたし。」
...知らなかった...。
やっぱりまゆにはかなわないのかも...。
俺はそう思いながらまゆの髪の毛に顔を埋めた。
まゆはまたふふっと笑った。

翌日の放課後、俺はまた社会科準備室に向かった。
準備室は相変わらず杉本先生ひとりで、先生は俺の顔を見るとにかっと笑った。
「よぉ。"答え"は出たか?」
「...一応。」
俺は部屋の中に入り、先生の机の横に立った。
「俺、先生がまゆにしたこと、許せないと思った。でも、まゆが"もういい"って言うから俺もそう思うことにした。それから...俺、絶対に先生に負けないから!!」
机の前に座った杉本先生は一瞬あっけにとられた顔をしたがすぐににやにやと笑った。
「"それ"を俺に言ってもしょうがないだろう。お前が勝たなきゃいけないのは"俺自身"じゃなくて"橘の中の俺"なんだから。」
...やっぱり"大人"にはまだまだかなわないのかも...。
「とにかく、いろいろとご迷惑おかけしてすみませんでした!!」
「はいはい。」
俺は勢いよく頭を下げると出口に向かった。
そして、ドアのところでふと俺はあの背の高いポニーテールを思い出した。
「先生。」
「ん?」
「"今度"は女泣かすなよ!!」
俺はびっくりした顔の杉本先生を残して準備室から駆け出した。

そして、後日、俺は下駄箱にポニーテールの2年生からの手紙を発見するのだがそれはまた別の機会に...。

そういえば、まゆの車の中にあったマルボロメンソールライトだが...。
なぜかその後、俺のジーンズのポケットにおさまっていた。
そして、杉本先生のマネをして(!?)一、二度吸ってみたが、すぐにまゆにバレて没収されてしまった。
(なぜバレたのかはみなさんのご想像におまかせします(笑))
いつか俺がタバコが似合うような大人になったら、まゆのことちゃんと守れるようになっているのかな...。

「あ、こうちゃん、私、タバコ吸う人とは絶対に!!キスしないからね♪」

やっぱり一生まゆにはかなわないのかも、ね。

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お待たせしました、最終回です(^^)
(でもこんな結末でよかったでしょうか?←どきどき)
気に入っていただけたらうれしいです(^^♪
[綾部海 2004.2.11]

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